「人」を尊敬しすぎる人への注意3点

・がっかりする覚悟はあるか?

人っていろんな面があり、しかも変化する。

それは、相手もそうだけど、自分もそう。

 

「こんな人だと思わなかった!」は、

想定範囲内のこと。

それをわかった上で、尊敬した方がいい。

 

・尊敬なのか、依存なのか

なぜ、人を尊敬するかというと、

少しでも、その「尊敬できる部分」を

取り込みたいからじゃないだろうか。

 

でも、どんなに尊敬したって、

その人の一部がもらえるわけじゃない。

「特別なあの人の『特別な部分』を知っている私」は、

なんも特別じゃない。ただの私だ。

 

・尊敬できるか、否か?のジャッジの必要性

「この人は『正』なのか、『本物』なのか」というジャッジ。

 

はじめにも書いたけれど、相手も自分も不定であり、

不完全なので、まずジャッジが心もとない。

 

そして『悪』だったら、『偽物』だったらどうするのか。

批判しまくるのか。罵るのか。軽んじるのか。

 

そもそも、「尊敬できる部分」を取り込んで、

もっといい自分になろうとしたから尊敬したのなら、

誰かを罵ったり、自己嫌悪に陥ったりって、

真逆の行動な気がする。

 

誰かをジャッジしている間に、

自分のやりたいことを進めた方が間違いなく、

有意義に過ごせるような気がする。

 

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私は人に影響をされやすい。

だから、それを利用して、周りに素敵な人を置こうとしていた。

そのおかげで、私は素敵な人に囲まれていると思う。

 

だけど、もう「この人は『正』なのか、『本物』なのか」

ってジャッジするのは、嫌になった。

(ジャッジする私の力量もアヤシイと心から思うし)

 

誰かを「尊敬できるとこないな」とか、

軽んじたことはないつもりだけど、

「これがあるから尊敬できる」も、一度やめて。

もっと縁のある人と、きちんとお付き合いしたい。

 

私は今までの人生で、ずっと尊敬できる人を探して、

その人の「いいところ」を集めたり、

他の人との法則性を探したり(暇なのか)していたけど、

 

来年は他人よりも自分のこと。

他人をジャッジする時間をなくして、

自分のやりたいことを進める。

関わる人とは、誠実に向き合う。

そんな1年を試してみたいと思います。