エルエル

自分のやりたいこと、気になること、覚えておきたいことを、人にも楽しんでもらえるように書いています。

友だちにするなら「コウペンちゃん」に限る

コウペンちゃんを知っているだろうか

「肯定ペンギン」というコンセプトで
すべてを肯定するキャラクターだ

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朝起きただけで褒めてくれる
電車に乗っただけで褒めてくれる

それを見た私の友人が言った
「これ、私やん!」と

彼女は確かにいいと思ったら褒める人だ

というか、基本、私の周りには私を褒める人しかいない

・・・私の友だち全部、私を肯定するコウペンちゃんではないか

と気づいてしまったのである


そもそも、冗談でも軽くても私をdisる人が苦手だ

ある友人でとても面白い子なのだが
何かの話で
「私あんまり頭良くないみたいでさw」
と言った時に
「うん、そうだね」
と言われて傷つき、疎遠になってしまった子がいる

「少しきついことを言われただけで疎遠になる私って
だいぶダメなのでは?」

と思ってたんだけど

なぜ友だちと遊ぶのにいちいちトゲ刺されなきゃいけないのか

「トゲを刺すような友だちしかいない」ならまだしも
私は友人に恵まれているのだ

同性の友だちって、掛け値なしに付き合える人だ

「おごってくれない彼氏なんて無理!」はあるけど
「おごってくれない友だちなんて無理!」という人はヤバイ

そう思うと「友だち」ってすごい
いっしょにいて楽しかったり元気になったり馬鹿笑いしたり
わりと不確かなメリットで続く関係だ

私のことを褒めてくれる人とだけいっしょにいるって
自分を持ち上げてくれる取り巻きばかりを揃えている芸能人のようで

そんなことしてたら天狗になる とか
厳しいことを言ってくれる人が必要 と思っていたけど

普段褒めてくれている友人も
私が犯罪を犯そうとすればやめろと言うだろう
天狗になっていれば忠告してくれるだろう

そもそも、そういう不安があれば私から相談するし
今のところ天狗になれるような成功もしてない
幸か不幸か、ご意見番が必要なほど周囲に影響力が無い

私を褒めてくれる人ばかりを揃えるって
都合がいい人ばかり見ているということだ

でも、逆に、都合が悪い人を揃えても何もならない
しょんぼりした日が増えるだけだ

最近気づいたけど、世の中の
「平均以上であれ」「常識的であれ」が
無意識に刷り込まれていることが多くて嫌だなと思う


成長したいなら塾に行くとか本を読むとか
自分の機嫌を損ねずにやる方法がいくらでもある

友だちはコウペンちゃんのみでいいし
私は私で、友だちの「コウペンちゃん」でいようと思う